Osaka bobsleigh and luge skeleton federation
大阪ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟について
沿革
1998年の開催が決定した長野オリンピックに向けて、関西からボブスレー競技日本代表有望選手の発掘・育成・普及を目指し、1992年に設立準備委員会を立ち上げ、翌年の1993年1月に大阪ボブスレー・リュージュ連盟として発足しました。その後、1994年4月に日本ボブスレー・リュージュ連盟へ正式加盟、1996年4月に大阪体育協会へ加盟を果たしました。
創設時の活動は、ボブスレー・スケルトン選手としての適正を見るコントロールテストと呼ばれる体力テストと、ボブスレーに車輪を装着したローラーボブスレーを押し、タイムを競うプッシュボブスレーの競技会を中心に展開。プッシュボブスレーの大会として、1992年から1995年まで大阪体育大学をメイン会場とした西日本大会、1993年から1995年まで神戸阪神地区で開催した兵庫大会、1995年には京都府久美浜町と愛知・中京大学に於いても実施しました。また、1994年・1995年には和歌山市内において、小学生をターゲットにサマーボブスレーと呼ばれるスーパースライダー大会を開催し、ソリ競技の普及と底辺の拡大を図るため多くのイベントを実施しました。そして1995年には、大阪に於いてボブスレー日本代表選手最終選考会を開催し、大きな注目を浴びました。
1995年には海外との交流を持ち、世界トップのオーストリアチームとの合同トレーニングをオーストリア・インスブルックで実施しました。翌1996年にはスケルトン世界選手権で優勝したデブンポート氏をカナダから大阪へ招聘し、スケルトン講習会を開催しました。これらの活動を通じ、創設期には10名の日本代表選手を大阪連盟より輩出することができました。
オリンピックには、大阪連盟より2006年トリノオリンピックに男子ボブスレーの小林竜一選手、女子ボブスレーの長岡千里選手、2010年バンクーバーオリンピックには連続出場となる小林竜一選手、男子スケルトンの田山真輔選手が出場し、大きな成果を上げることができました。
2002年のソルトレークシティオリンピックよりスケルトン競技がオリンピック種目になることが決定したことを受け、組織名称を2001年より大阪ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟に改称しました。
長野オリンピック後は競技の普及と、競技力を向上させていく場を整備提供していくことを大きな目標とし、年間スケジュールをたてています。シーズンオフにコントロールテスト、長野スパイラルでプッシュトレーニング夏季合宿、競技規則講習会、近畿各地でブッシュボブスレーイベントを開催。そしてシーズン中には西日本ボブスレー・スケルトン選手権、一般の方々に実際にソリ競技を体験していただくボブスレー・スケルトン体験会を実施しています。また、過去には滋賀県比叡山スーパースライダーコースにて普及イベントを開催したりと、小さいながらも存在感のある競技団体として活動しています。 現在、次のオリンピックに向け、メダリスト育成とそり競技のさらなる普及を目標に精力的に活動しています。
2019年 大阪ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟役員
会 長 藤原 達治郎
理 事 長 大賀 康弘
副 理 事 長 藤岡 倫紀
専 務 理 事 前田 昌也
理 事 伯川 三喜子
理 事 與治 希 (スケルトン部会長)
理 事 高山 淳 (ポブスレ一部会長)
理 事 堀 高士
理 事 川島 誉子 (事務局長)
理 事 間野 史子
理 事 富田 大喜
会 計 監 事 與治 希
会 計 監 事 雨宮 智子
2019年 大阪府スポーツ協会
評 議 委 員 間野 史子
補助評議委員 與治 希
競技力向上委員 與治 希
普 及 委 員 間野 史子